グラフィックデザイナーでなく写真家を目指そう

デジタル時代になり、写真を語る上で常に議論の元となる 『レタッチ』
加工と補正は異なるものなのですが、ではどこまでが ”写真” と言えるのでしょう?

写真とデジタル加工

まず何より、正直に申し上げておきます。

実はkenken自身、もともとカメラや写真は好きだったのですが、一時 Web デザイン関係の仕事をしておりまして、その当時のkenkenにとっての ”写真” とは、Web を構成・デザインして行く上での 『単なる素材』 的な存在の割合がかなり高くなっていました。
やがてポスターやフライヤなどグラフィックデザイン的な事も扱うようになったのですが、それも相まって、今でも、写真というのは加工・編集してイメージに近づけるのが当たり前、みたいな感覚が頭のどこかに残っている自覚症状があります。

実際、こと Photoshop に関しましては、補正から加工・合成まで、イメージ加工で実現出来ないことはない、と言える程度に、1ピクセル単位で使いこなせる自信があります。

先述の通りもともとが写真好きだったのですが、そこに Photoshop の扱いに慣れたことが上書きされて、いつしか ”写真撮影そのもの” より ”撮影後のレタッチ仕上げ作業”の方に重点を置くような感覚になっていました。
そんな自分の感覚に特に疑問も持たなかったつもりなのですが、でもいつも心のどこかでは、

『自分の作り上げようとしているものは ”写真” と言えるのだろうか?』


という、葛藤のようなモノも感じていたような気がします。

こちらの 『レタッチとは?』 でも触れていました通り、デジタル写真の場合はパソコン上で簡単に ”補正” を行うことが出来ます。
ですがその ”補正” にも様々な種類と程度があって、では 『どこまでが写真として許されるのか?』、それが ”写真” を語る上でいつも議論のたねとなっています。

先ほどのページ とは若干考え方が異なってきている部分も出てくるのですが、『写真作品』 としての品質を追うにあたって、今一度、写真とレタッチについて考えてみたいと思います。

描写加工と色調加工

ひとことに 『写真加工』 と言いましても、その内容は、基本的に ”描写加工” と ”色調加工” の2つに分類されます。
描写加工とは写真として描写された要素自体を加工することで、色調加工とは描写要素の色味だけを加工することです。

これらそれぞれに ”程度” があって、『この程度なら致し方ない』 と許容されるものから、『明らかにやりすぎ』 で ”写真” として認められないようなものまで、様々な段階があるような気がします。

つまりその段階の、どこまでが ”写真” でどこからが ”加工グラフィック” なのか? その境界線を見極めることが、”写真作品作り” の上で大切なような気がします。

描写加工について

恐らく、厳密に考えますと、描写された内容そのものを加工することは、程度の差に関係なく、もはや ”写真” とは言えないような気がします。
ただ、描写された内容そのものと言うより、使用する機材によって生じる ”差” を埋めたい目的の修正もありますので、どのあたりまでなら ”許容” されるのかについて考えてみました。


レンズや映像素子についたゴミの映り込み

本来であれば、そもそもそういう部分に細心の注意と準備を払った上で撮影に臨むのが ”写真家” というものだと思うのですが、レンズや映像素子のゴミというのは、それ自体は本来 ”撮影対象の状態” に対して何の関係も無く影響を与えるものでもないので、これを修正することは、”写真” として
許容範囲
であるような気がします。

画像に写り込んだ余分なモノを消す ・ 加える

例えば風景写真で地面に捨てられたゴミとか木々の向こうに見える電線等ですが、本来、その場に存在していたから写真として写っているわけですから、如何なるものであってもそれを消すことは写真として
許容されない
と思います。
また、例えば空の写真を撮って 『ここに鳥が一羽飛んでいれば絵になるのに』 というような場合、そこに鳥を合成するようなことは明らかなコラージュであり、写真として絶対に許されないと思います。

トリミング

写真撮影とは、本来トリミングを前提に行うべきものではない・・とは思うのですが、でも例えば表現意図上のアスペクト比の関係であるとか、またプリントの際の用紙サイズも映像素子のアスペクト比と同じとは限らず、これら最終的な仕上げサイズによって実質的にトリミングされるのと同じ場合も多々あるわけですので、トリミングは写真として
許容範囲
であると思います。

部分的な形状の修正

例えば夜空に写った月がわずかに欠けている場合、『これが満月だったら絵になるのに』 と修正するのは明らかな加工であり、 写真として
許容されない
と思います。

全体的な形状の修正

画像全体の湾曲の修正などですが、これはそもそもメーカー付属の現像ソフトにも搭載されている機能でもあり、それ以前にカメラ内部の映像エンジンでも修正されている場合もあります。 また使用するレンズによっても影響の度合いが変わる (高級なレンズでは湾曲しにくい等) 要素でもありますので、これを補正することは写真として
許容範囲である
ような気がします。

ゴーストやフレアの修正 ・ 消去

これは修正すること自体が相当に難しく、特に該当部分に描写された撮影対象の状態を変えてしまわないよう細心の注意が必要になると思うのですが、ゴーストやフレア自体は、先のレンズや映像素子のゴミと同様に ”撮影対象の状態” に対して何の関係も無く影響を与えるものでもないので、これを修正すること自体は写真として
許容範囲
であるような気がします。
ただ、実際にはやめておいた方が良いような気がします。

色調加工について

極めて乱暴な表現になるのですが、結論から言いますと、

『色調加工については、如何なる加工を行おうとそれはその撮影者の表現であって、どのような色調に仕上がった画像であろうと ”写真” として認められるべき』


・・・ではないかな? と、思えています。

例えば、『出来る限り自然で人間の目で見た色味に仕上げたい』 という人と 『できる限りドラマチックで極彩色でダイナミックな色調に仕上げたい』 という人がいた場合、目指す方向性は真逆だとは思いますが、でも写真に対して行う補正の ”項目” 自体は同じです。

その結果、たとえ現実にはあり得ないような強烈な色調に仕上がった写真があったとしても、それを ”写真” として否定することは、同じく現実にはあり得ない色調であるモノクロ写真を否定するのと本質的に違いがないように思います。

ただ、その写真が、それを見た人に受け入れられるかどうかとか、コンテストに応募して入賞できるかどうかとか、その辺りのことは全く別のお話です。

『JPEG レタッチ仕上げ』 から 『RAW 現像仕上げ』 へ

今では信じられないかも知れないのですが、10数年前、世にデジタルカメラが出始めた頃、特に歴史ある写真コンテストでは
『デジタル写真 (デジタルカメラで撮影した写真) での応募は不可』
というものがいくつもありました。

というよりデジタル写真で応募できるコンテストの方が少なくて、募集要項にわざわざ 『デジタル写真での応募も可』 と書かれていたほどです。

その理由は、デジタル写真の場合は修正 ・ 加工が簡単に行えるため、”写真” という芸術作品の最も根源的な前提ルールである
『写真家が撮影技術を駆使し、あるがままのものをあるがままに撮った作品である』
という点が保証されず、判断もできないから、です。

要するに、デジタル写真の場合は、
それが本当に 『写真作品』 なのか、あるいはレタッチ加工で仕上げた 『グラフィック画像』 なのか、それが判断できないからダメ
、という意味です。

kenken個人的には、その理由そのものは確かに重要なことで、写真コンテストが ”写真たるルール” を重視するのは当然のことだと思います。

ただ、その重視するために取った ”手段” が問題で、そこで ”とにかくデジタルは禁止” にするのではなく、
『デジタルでもそれが純然なる ”写真作品” であることを証明できる手段や手順を ”日本の写真界として確立する” 事』
の方が重要だったような気がします。

やがて、圧倒的にデジタル写真のシェアが拡大されて、コンテストでも ”デジタル写真で参加できるのが当たり前” となったのですが、ところが、上記 『それが純然なる ”写真作品” であることを証明できる手段』 が確立出来ていないものだから ”写真作品” を超える修正が加えられた ”グラフィック作品” が混入する可能性を排除しきれず、結局この辺りが何となくあやふやなまま 『応募者の良識にゆだねる形でレタッチ全般を暗黙容認するしかない』 という方向に進むしかありませんでした。

その結果、ネットや各種写真誌などでも 『レタッチや補正で写真作品を仕上げる方法の特集』 が紙面を割く割合が徐々に増えてきて、また若い世代の方々の間ではスマホアプリで加工した写真を SNS に投稿することが流行るようになり、また面白系コンテンツとして Photoshop を使ってファッションモデルのスタイルや容貌を超大幅に加工修正していく様子が Youtube で大人気になったりと、そういった色んな要素や知識、状況が重なる内に、『写真作品』 と 『グラフィック画像』 の境界線が非常にあやふやな状態になっているのが今の日本の写真界のような気がしています。

これが ”世界の写真界” でも通用するのかどうかずっと疑問に感じていたのですが、『日本人で初めて写真作品がマックの壁紙に採用されたことで有名な ”ケント白石さん”』 のご活動を拝見しますと、やはり世界の写真界は ”写真” に対して非常に厳正に取り組んでいるようです。

グラフィック画像というのは、商業目的として、デザイナーが写真を ”素材” として扱い、それを加工・編集して目的に沿う形に仕上げているもので、それはそれでれっきとした1つのカテゴリです。
その結果仕上がった画像はそれはそれで立派な ”グラフィック作品” なのですが、でもそれはもはや ”写真作品” ではありません。

現在、日本の写真コンテストは、kenkenの知る限りでは全て JPEG 画像だけで応募できるようになっているのですが、本当に厳正に ”写真作品” を競うのであれば、候補作品が絞られた時点で RAW データを提出することをルール化すれば良いと思います。
それが最善とは言えないかも知れないですが、少なくとも現在のところは、そうすることで 『加工グラフィックも混ざる可能性のある世界』 が、フィルム時代から培われてきた 『本来の ”写真” の世界』 へと回帰していく可能性もあるのではないでしょうか。

恐らく、写真趣味の皆様の中でもこだわりを持っておられる方は既にそうされていると思うのですが、現在 『JPEG 撮影→JPEG レタッチ仕上げ』 のフローで作品作りをされている方は、『RAW 撮影→RAW 現像仕上げ』 の形にシフトすることで、デジタル写真作品への造詣がより深まって行くのではないでしょうか。